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阪神 秋季キャンプ @安芸 鳥谷敬他
阪神のキャンプ地、安芸に来て思ったことはコレだった。



観客のキャラが濃い・・・。

前日のオリックスキャンプとは、ファンのファッションが違う。
七色カラーのロングのカツラをつけたオバちゃん。むろん、阪神ユニ着用。
キャバクラにオツトメ? と問いかけたくなるようなピンクのワンピースに巻き髪と付け睫の中途半端なギャル。度を越えたデブのオバちゃんが、バズーカー砲を発射するかの如く、連射じゃない連続シャッターを切っていく。
それはまぁいいとして・・。ブツクサ何か呪文のように文句を言ってたりするのがちょっと怖い。
どう見ても、風俗関係・・といった雰囲気の女二人組が、どう見てもチンピラにしか見えない阪神の新聞記者にまとわり着いて何か話している。
堅気とは違う、隠微な空気。いかがわしさと、ケバさ。

実にノーマルな風貌の三十路の女性がいると思ったら、二人は定番の台詞を呟いていた。
“○○サン、あたしに気付いてくれたかな? あたしのことどう思ってるのかしら?”

こういったものは、オリックスのキャンプでは見られないものだった。

オリックスのキャンプでは、観客の女の子が、練習の様子を見ながら、“あたしに気付いて”みたいな寒い台詞を言う現場は見たことがない。
※サーパスではあるけどね。

オリックスキャンプでは、“どー見ても、オリの後藤よりイケメンのファンの兄ちゃん”が、私の目を惹いた・・事くらいでしょうか・・。オリックスの場合、ファンの方が神戸育ちの垢抜けたイケメンだったりすることも多々ある。

そんなことより、阪神だ・・。

濃い・・・。

同じ高知で、同じ野球ファンというカテゴリーに属しておきながら、ファンのキャラのこの違いは何なのだろうか・・?

どこからともなく、ハーモニカの音色が聞こえてくる。
六甲おろしの、哀愁を帯びたメロディーが妙に心地いい。何なら着メロにしても良くってよという感じ。






このおじぃーちゃんが、ハーモニカを吹きながら球場内を巡回していたりする。
そして、列車の切符のようなもので、“鳩ポッポ”を吹くという芸まで披露していた。




通りすがりの犬も見る。

昭和の匂いがたち込める安芸球場に、真弓監督がいらっしゃった。



金村と談笑中。

ナマで見た真弓監督は、意外にハンサムではなかった・・・・。テレビで見る方がカッコいいという印象。

打撃練習中の阪神ナインたちの様子を、とりあえずぼんやりと眺める。

いつも、自然に目に入るものを見ることにしているのだ。








バント練習。

ムッシュ吉田が、“関本と藤本には申し訳ありませんが、久々に本格的なセカンドが出てきたという感じですなぁ”と褒めていたことを思い出す。
つまり、かなり上手いということだ。
関本や藤本も決して下手ではないが、平野が突き抜けているということなのだろう。





動作が、日本舞踊やお茶お花の立ち振る舞いのように、スッと抑制が効いていて静かだ。

前日のオリックスのサードの守備を見ていて感じた、「チャップリンの映画の喜劇俳優」のようなゴチャゴチャした空気とは、まったくの別物だと思った。

何でもない球を捕るのも、「うおー」と吼えて転ぶ。その素人臭さ。
その隣で、オリックスのセカンドグループは淡々と、丁寧に静かにこなしていた。難しいこともひそやかにスッとやりこなしていく。

平野は、オリックスのセカンドグループと同じ、日本庭園のようなきちんと調和のとれた佇まいがあった。

集中するだけの守備における技術を持たないグループと、ちゃんと集中できるプロの差を見て悟ったことがある。
両者は常に違うのだ・・。
あるいは、ブスと美人はこちらに見せる光景(世界)が違うと言ってもいい。
素人がバレリーナのポーズをとる。プロがポーズをとる。同じ動作をしても後者はスッと物静かにやってしまうに違いない。それがプロだからだ。美しいものは根本的なところが安定しているので、ジタバタしなくて済む。

野球が上手い(美人) 野球が下手(ブス)と、いう感覚で捉えると、その格の違いが、ようく分かることがある。
女性ならよく知っていることだが、ブスと美人では心構えが違うことが多い。
岩井志麻子さんのエッセイの中でも、デブの素人モデルは「デブを自覚しながらも激しく誤解」してはしゃぐが、美人はひっそりと咲くことに関する描写がある。

岩井志麻子著 「ハメルンの笛吹き女」より

デブモデルは始終、照れ笑いを浮かべてペンギンさんポーズを取っていましたが、美人モデルは始終、無表情。気だるい微笑を浮かべ、カメラマンの注文に淡々と応じるだけ。彼女の「自分の物語」を見つめる醒めた目こそ、他者にも物語となり得たのです。


平野の美しさ(上手さ)は、ムッシュ吉田のようなプロ中のプロの中でも、「物語」となり得たということだろな・・。


岩井さんのエッセイのラストを、野球バージョンにするとこうなる。
彼のフィールディングはひっそりと綺麗でした。
植物のように。一枚の絵のように。物語のように。


こんなふうな印象を与えられる人でないと、見ていても、本当の意味での感動を残すことなど出来ない。





スッと静かに、人物に粒子が集まるかのように見える。
そういう時、集中してこちらも相手を観ている。














不細工だがラブリー。













この日、鳥谷のあまりのカッコ良さに驚いた。

まったくファンでもないし、こういう顔が好みという訳でもない。にも関わらず、「マジでカッコいい」と感じた。





全身の動きも他者よりもいい。
写真は正直にすべてを映し出す。






私がゲイの鳥谷ファンなら、今頃、「うっ・・」と、股間を押さえていたに違いない。
それくらい、ヤバイ。
まったくファンじゃない私が、「こりゃすげぇ」と、感動する程にいけてる鳥谷。






他の子も紹介。





桜井君。


桜井がバックスクリーンに当てた様子を見ていた観客は、口々にすげぇと感心していた。
しかし、岡田監督が「慢心してダメになる新人もいる」と言っていた時、真っ先に私の脳裏に浮かんだのは桜井だ。
素晴らしい逸材と呼ばれているのに、いつまでもくすぶっている。それが桜井というイメージだから。

梨田監督は、中田翔に関してこう述べた。

単独自主トレの場合には「自分に厳しくできないところがある。すぐに満足感を持ってしまう」と危惧(きぐ)した。

これは「単独自主トレ」は、比べる他者がいない故に、そういうふうな勘違いをしてしまうという意味なのか、まだ未熟な中田がやるとそうなるという意味なのか・・。あるいは両方なのか・・。

作家の桐野夏生さんは、「小説家は、自分に対する意地悪から覚悟が生まれ固まる」という趣旨のことを書かれていたが、野球も同じように「自分に対する意地悪」の正しい意味を知って実践できる選手でないと生き残れないだろう。

私は、ハムの小笠原の打撃練習を見ていて、たまに、ふっと思うことはあった。
「まるで自分を憎んでいるかのような顔つきでバットを振る人だ」と。

未熟さを憎んだり軽蔑したり突き放すことは、他者ならば簡単に出来ることである。
神のような客観性を持ったかのように、ファンは選手を高みから眺めて観察して審判を下したがる。私が今、書いていることさえそれに該当する。
他人は、眺める対象物は他者なので、どんなバカであろうと、「外側」から見ることが出来る。信者でない限りは、最低限の客観性は持てるだろう。

では、選手はどうなのか?
自分を誰よりも嘲り笑いながらも最も正しく愛する。この正反対の作業を続けることは苦しいことだ。
よく監督が、「あいつの性格は優しいからダメだ」と言っているが、人は多分、「他人を押しのけたり出来ない優しい性格」と受け取るだろう。
でも、違う。自分の「未熟さ・無能さ」を激しく憎むことが出来ないで、「自身へ向ける意地悪の手ぬるいこと」が、彼の成長を阻んでいるという意味だと思う。

自分の内部に恵まれない不満を抱えることに耐えられない弱い人間は、そのイライラを無意識のうちに他者に向けるというのが定番の行動だ。

例を上げよう。
予測通りの台詞。中途半端な実力しかないが、やたらとプライドが高い人がいたとしよう。わざと意図的に自分のことを認めない相手に向けて、「こいつはイタイ奴だ」と言う。自分の成績を棚に上げてそれを言うだろう。
他人を軽蔑することでようやく自分のプライドを保てる非弱な精神の持ち主ならば、必ずそういう行動に走る。これはパターンとして決まっている。
使ってくれない監督も、「イタイ奴」という位置に置いて己を防御したがる。
※おめーだろ。イタイのは! と、他者は鼻白むが、本人はそれくらい臆病なのだ。

ファームに落とされた選手や一軍に定着しない選手や実績のない選手が、まず殺さねばならないのは「役立たずな自分」なのだが、可愛い自分は傷つけたくない。そんなタイプのナルちゃんは、他者に不満を向けるというのは定番の行動。
「ふて腐れる」というのは、こういう行動のことを言う。
客観性があれば、自分自身に絶望して、まずは自分の負の部分にメス入れて切除することを実践するが、自分を憎み追い詰めて切り刻む作業はあまりにも辛い。だからそんなことはしない。彼らは傷つきたきたくないのだ。ナルシシズムを満たしてくれる人でなければ、「怖い人」とか「嫌な奴」と思い憎むだろう。
逃避する。「監督の起用が悪い」とか「他球団に行きたい」というふうにどこまでも逃げる。そして、見つめるべき内面などない証として、どーでもいいファンの品定めなどを行う。
仕事が出来る人は、「自分を冷酷に裁き、自分を値踏み」しつつ「自分を慈しみ育てて管理する」ことに集中している。

私はずっと思っていた。練習中、「設定した理想の到達点に辿りつかない打者小笠原」を最も憎んでいるのは小笠原なのではないかと・・。
そう見えて仕方なかった。バラバラに壊れても可哀想とも思うことなく、壊れた自分の身体を、ひどく醒めた顔で見下ろすような男に見えて仕方なかった。

多分、それが、選手として、当たり前の在り方なのだろうとも思う。


桜井は、他者に向けて八つ当たりするようなことはおそらくなかったとは思うが、しかし、本当に「自分自身だけに徹底的に意地悪」であったかどうか?

そこが、今後の分かれ道だと思う。



平野選手は、プロとしての佇まいがあり、「覚悟が固まっている」といった雰囲気が伝わる選手だった。
鳥谷は、才能が加速していき、今後、更に輝くといった印象で、ひときわ輝いて見えた。

正直、私は、今年サーパスの試合をたくさん見てきたが、誰からも、本当の意味で「魅了」されることはなかった。いや、一輝みたいに魅了した人は、さっさと一軍に上がっていった。
残った人物が見せる光景は、退屈な曖昧な映画のように生ぬるいものだった。
むろん、ファームにも魅力はある。牧田や平下の人柄や人物としての魅力は、「一人の選手の生き様」として胸に残るが、それでも、正直、物足りないと思った。
私は、やっぱりプロフェッショナルに徹して結果を出して上り詰めていく人の熱やオーラに惹かれる。
そして、一軍で、ちゃんとプロの技を発揮する現場を見たい。



私は、鳥谷のファンじゃない。鳥谷のことは好きでも嫌いでもない。

でも、その動きを見ていると、素直に「素晴らしい」と自然に惹き込まれる。抗うことも出来ないくらい素直に認めたくなる。多分、それが「才能」というものの魔力なのだろう。プロはそんなふうにして、いとも簡単に他者の感心を引き寄せる。

やはり、プロは「美しい」と感じる光景を見せてくれるし、彼らが作り出す物語の行方を知りたいと思わせる。
写真は、個人のみみっちい好き嫌いの感想など関係なく、その人物の魅力を映し出す。
だから、その証拠品として撮る。

要するにプロとして美しいものならば、個人が、その対象物に愛着や思い入れというものがなくとも見る価値を見出せる。
それをしみじみ実感したのだった。






おまけ















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| 美緒 | 2008年 観戦記 | 22:26 | - | - |
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